11月9日・記者会見を行いました。
9月末から約1カ月間実施した「外国人市民も住民投票!アンケート」の結果報告の記者会見を行いました。
会見では、結果発表とともに、結果から見えてきた考察や、アンケートを集めながら実際にお聞きした外国人市民のみなさんの声をお伝えしました。
また「投票したいなら日本国籍を取ってもらいたい」と発言した松井市長の会見発言について改めて問題提起し、呼びかけ人の國本弁護士から「あたりまえの民主主義とは」についてお話ししました。
最後に、みんじゅうのこれまでの取り組みを通じた声明文「あたりまえの民主主義を実現しよう」を発表しました。
アンケートで頂いた様々な声の紹介
「外国人市民も住民投票!アンケート」に取り組む中で頂いた、外国人市民のみなさんのお声を紹介します。
私たちの取り組んだアンケートには40か国の方々にご協力いただくことができました。今まで聞こうともされてこなかった、外国人市民のみなさんの大切な声が明らかになりました。
ベトナム、韓国、中国をはじめ、この間各国の料理を食べに行ったり、各国の食材屋さんに行って声をかけたり、ハロウィンのアメ村で仮装している方々や、街行く方々などにお声かけをしてアンケートを集めました。
コロナウイルス感染の影響で、イベント開催が減っている状況ではありましたが、出来るだけ多くの外国人市民に声をかけられるよう、外国人市民の多く住む街や駅前で街頭アクションをしたり、イベントに出向いたりしました。
アンケート集めで注意した点としては、結果にバイアスがかからないよう、特別区設置に関する集まりや街宣には近寄らず、外国人市民が集まる場所へのお声かけをするように努めました。
そもそも大阪市のHPなどでは、住民投票や協定書内容などに関する多言語の説明はなく、私たちはまず日本語で資料を作成し、それらを翻訳して多言語資料を作成するところから始めました。本来であればそれは、市民への説明として、行政が行う仕事であったと感じています。
しかし、大都市法7条では「選挙人の理解を促進するために、協定書についてわかりやすい説明をしなければならない」と書かれてあり、投票権だけではなく、説明を受けることからすら、外国人市民は除外されていたのです。
私たちが準備した多言語の説明資料は、外国人市民の皆さんに好評をいただきました。
実際にアンケートを行う中で、フィリピン籍の方から「日本語がわからないから、今日この説明を読んで、やっと内容が分かった」というお声をいただいたり、ベトナム籍の方からは「これを使って勉強したいので、何部かほしい」と言われたりしました。
またアメリカ籍の方から(その方は日本語を比較的話せる方でしたが)は
「テレビを見て知りたいと思っても、説明してる日本語が難しいからよくわからない。長く住んでいるのに意見を聞いてもらえないのは、寂しい気持ちになる」
と、外国人市民への情報提供が明らかに不足しているため、そもそも知ることすら出来ないという不安と疎外感が語られました。
有権者である日本人にとってさえ、説明不足だと感じる住民投票であり、5年前よりも明らかに情報提供が足りないという報道もありましたし、私も一市民としてそれを実感しています。
実際にアンケートでは「住民投票のことを知っているか」という質問に、日本語を話せない方の40%が住民投票のことを知らないと答えました。一方、日本語を話せる方では80%が住民投票を知っていると答えており、日本語を話せない外国人市民に対して説明が無かったことが結果にも反映されています。
次に、外国人市民の住民投票への投票参加については、日本語を話す外国人市民の96%が「投票できるべき」と答えています。この街ですでに一緒に生き、これからも一緒にこの社会をつくっていきたい、そこに参加したい、という多くの思いが示されています。
一方、日本語を話さない方では、その割合が73%に減っていました。「よくわからないから」というコメントが多く、多言語での情報提供の大切さを感じました。
イギリス籍の方からは「投票できないから、住民投票には興味がわかなかった」との声。でも「投票できたなら、自分に関わることだから学ぼうと思ったとおもう」と話されていました。
韓国籍の方からは「え?私投票できないんですか?できると思ってました」と話され、申し訳ない気持ちになりました。
中華料理屋のオーナーさんは、以前ご自分でも「どうして私たちは投票できないんだ?」と悔しい思いを地元議員さんにお伝えしたこともあると話してくれました。そして日本人の私が、このような活動を進めていることにとても喜んでくださいました。
大阪市廃止・特別区設置に関しては、賛成・反対それぞれの意見のほか、外国人市民ならではの声もありました。
「このまま外国籍住民の権利が無いまま生きていくことに不安を感じている」
「外国人への人権制限が、年々ひどくなっているように感じる」
「行政サービスがスムーズになるか不明。住民にとって、住みやすい環境になってほしい」
「今利用しているサービスは、本当にそのまま使えるのだろうか」
私は、このアンケートの回答をすべて入力する作業をしていたのですが、ひとつひとつの声を目にするたび、日本人のみんなはこの声に気づいていただろうか、耳を傾けていただろうか、思いを寄せたことがあったのか、と考えさせられました。
そして、実際に住民投票期間中、街頭で行われるさまざまなアナウンスや「投票へ行こう」というアクションが、投票に参加させてもらえない外国人市民のみなさんに疎外感を感じさせているということに想像が及び、ほんとうに申し訳ない気持ちになりました。
昨日、アメリカの大統領選挙結果が報じられ、様々な場面で私は、今回アンケートを通じてお聞きした声と重なってみえました。現地のニュースで、アメリカ在住の黒人キャスターが泣きながら話していた「やっと楽に過ごせる」という言葉。
また「All Votes Count」というアクションをみて、「All Voices Count」ですらないな大阪は、と情けなく思ったりもしました。
みんじゅうの取り組みは新聞で多数報じていただきました。ありがとうございました。この住民投票に14.5万人以上の外国人市民のみなさんが参加できないという事実を、2015年より確実に頻繁に問題提起されていたと思います。
「民主主義とは、状態ではなく、行動である」という言葉があります。
私たちの取り組んだ「外国人市民も住民投票!アンケート」の結果から、一緒に住んでいる外国人市民の声を伝え、どのような社会にしていくか、改めて問いかけたいと思います。
松井市長の発言について
昨年11月に行われた松井一郎市長の定例記者会見での発言について取り上げます。
記者の「外国籍住民に投票できるようにすべきだと思いますか?」という質問に対して松井市長は「参加しようと思えば、ぜひ日本国籍を取得してもらいたい」と発言しました。
これは、まるでネットで使い古されたテンプレートのようなヘイト発言です。公の場で、権力のある自治体トップが発し、メディアやSNSで拡散されました。
会見のあと「あの発言を聞いて、賛成だったのを白票にしようと決めた」という方の記事が朝日新聞に掲載されました。また「あの発言はヘイトなので、大阪府と大阪市に意見を投稿しました。」と言う電話がみんじゅう宛にありました。皆、市長の発言を聞き大阪市の未来を心配しています。
昨年9月の大阪市の人権標語募集で、松井市長が選んだ小学生低学年の部の作品を紹介します。
『見た人した人された人 つらくなるのがいじめだよ』
この作品が大阪市長賞をとっています。
市長は分かっておられるのでしょうか?
国籍は持って生まれたものです。権利を主張するなら、持って生まれた属性を変えろというのは暴力です。言われた側はどれほど傷つき、苦しむのかを想像してください。
自治体のトップである立場で、差別を助長する発言はしないでください。差別をするなと諭す側であってください。差別のない社会を作ると掲げる側であってください。
わたしたちみんじゅうは、都構想住民投票に外国籍住民が参加できないことに対して、日本人市民が声をあげたことで始まった市民グループです。
実は活動当初「日本人が始めた活動」というと外国人の方から警戒され、趣旨が理解されるまで時間がかかることも多かったのです。しかし、そうならざるをえなかったのは、差別を認めてきた日本社会に原因があるとも思っています。
マイノリティである外国人市民が、排除され差別されている、その中でマジョリティである日本人が知ろうともせず、関係ないと黙って見過ごしている、その日常をかえていきたいです。
私は、在日コリアン3世ですが、この外国籍市民へのアンケートを受けて、意見を言える喜びを感じ、もっと大阪について知りたい、貢献したいと思えるようになりました。
みんじゅうの活動を通して、大阪市民の人権意識は更新されていると感じています。色々な国の文化が出会い、混じり合い、そして共に暮らしている。そんな地域をたくさん見てきました。
松井市長、国際人権都市大阪のリーダーとして、多文化共生社会を牽引していってください。
国籍で線引きするな!
大阪に住むすべての住民の意見を聞こう!
私達の訴えはそれだけです。
呼びかけ人 國本弁護士より
今回の「みんじゅう」声明にある「あたりまえの民主主義」という言葉、僕は次の2つの観点が重要だと考えています。1つは民主主義の原点、もう1つは住民自治という観点です。
民主主義の原点を表す言葉として最も有名なのは「代表なくして課税なし」です。現在の国民国家体制が出来上がる前に生まれたこのスローガンは、自己決定権の保障こそ民主主義であることを示しています。
「人民の、人民による、人民のための政治」も民主主義の原点を表す著名な言葉です。実はこの「人民」の範囲、すなわち自己決定が保障される人の範囲が拡大してきたのが人類の歴史です。最初は資産家の白人男性だけが「人民」でした。そこから「人民」の範囲は男性一般、女性、有色人種と拡大してきました。障害者が「禁治産者」として排除されていたこともありましたが、現在は克服されています。
この点につき、次のアメリカ副大統領になるカマラ・ハリスが昨日、次のような言葉を使っていました。
The fight for their fundamental right to vote and be heard。(the) right to be heard.
直訳すれば「聞いて貰う権利」、英放送局BBCは発言する権利と翻訳していましたが、これは意思決定プロセスに参加する権利のことです。自分の命や暮らしに関わることに対して投票し、その意思決定プロセスに参加する権利が時代と共に拡大されてきた歴史と意義をカマラはスピーチしていました。民主主義の原点は意思決定への参加保障であるところ、参加する人々の範囲を拡大してきたのが民主主義の歴史であること、その観点を忘れてはならないと思います。
もう一つの観点は住民自治です。昨今はやりの地方分権という言葉は、国の側から見た視点です。これを地方地域あるいは我々市民の側から見れば、自分たちのことは自分たちで決めようという表現になります。なぜ地方分権、あるいは住民自治の重要性が説かれ、より重視されるようになってきているかと言えば、地方の実情は地元の人間こそ分かっているのであり、自分たちで決めた方がより豊かで人間的な民主主義を実現できるということが実践的に証明されてきているからだと思います。
さて大阪の実情はといえば、外国籍の住民がとても多い。住民の5%、20人に1人を排除しての意思決定プロセスが果たして民主主義、住民自治と言えるのかということをよくよく考えなければならないと思います。
今回の住民投票の評価に当たってもこの2つの観点、民主主義の原点に照らしてどうだったのか、住民自治の在り方としてどうだったのか、「あたりまえの民主主義」に照らして検討されなければならないと考えています。