みんな住民 国籍をこえ このまちでともに生きる仲間
「あたりまえの民主主義」を実現しよう!

2015年、大阪市民が初めて体験した住民投票は、政令都市大阪市を廃止して特別区を設置する「都構想」の是非を問うものでした。当時、橋下徹大阪市長は、「住民みんな」で「自分で決める」住民投票こそ「本当の民主主義」だと力説しました。けれども、外国人住民は投票から除外されていました。多くの日本人住民は、そのことを知りませんでした。

2019年、もう一度住民投票をするなら、外国人住民もふくめた「住民みんな」で投票したい!と、市民グループ〈みんなで住民投票!〉(以下みんじゅう)がたちあがりました。それから約一年半、大都市法等の法律の改正を求め、みんじゅうは積極的に請願署名運動を展開、多くの人の賛同を得ました。大阪市会と国会に陳情と請願を二度にわたって提出しましたが、制度の改正はかないませんでした。

2020年、再度の住民投票が行われるにあたって、吉村洋文大阪府知事と松井一郎大阪市長は、住民投票こそ「究極の民主主義」だと繰り返し強調しました。

私たちは問いかけたい。

「ほんとうの民主主義」や「究極の民主主義」とはなんでしょうか。住民を国籍で線引きして、その意見表明の権利を奪ったままでいいのでしょうか。 

また大阪市が日本語でしか情報提供をしなかったため、少なくない外国人市民は住民投票の情報から疎外されています。 住民として大きな影響をうけるにもかかわらず、 投票の権利がないからといって、住民投票の内容すら説明されないままでいいのでしょうか。

松井一郎大阪市長は、定例会見(2019年11月21日)で、みんじゅうの陳情について問われ、「法律で定められた住民投票をやる訳ですから、そこに参加しようと思うと日本での投票権、日本国籍をぜひ取得してもらいたい」「社会の中で様々なもの言える立場としてやっぱり国籍必要だから」と発言しました。これは「日本人でなければ蚊帳の外で黙ってろ」と同義です。ていねいな言い方であっても、  外国人住民を 排除する暴言であり明らかな差別です。すべての人が国籍を有すること、そしてどのような国籍でも選択できることは、その人のアイデンティティに関わる大切な権利です。にもかかわらず自分たちの生活に直結する課題に地域住民として意見を表明するために国籍を変えなければならないというのは、マイノリティが自分らしく生きる権利を認めないことに他なりません。「究極の民主主義」として住民投票を実施しようとするのなら、政治家として国に意見書を提出するなど、最大限の努力をすべきでした。

外国人住民も、日本人住民と同じように経済活動をし、税金や保険・年金等の社会制度の一員として重要な役割をはたしています。ところが、日本人であれば、3か月以上大阪市に居住すれば住民投票権が認められるのに、外国人市民は、日本で生まれて育っていても、曾祖父母や祖父母の代から大阪に住んでいても、国政選挙や地方選挙の参政権のみならず、住民投票の権利さえ認められません。

これは差別ではないでしょうか。

子どもたちは、国籍やルーツにかかわらず、地域や学校でともに学び育っています。授業で民主主義の方法としての選挙や住民投票を学び、同級生と模擬投票を体験しても、外国籍の子どもたちは、現実には投票できないことをいつか知ることになります。その事実に、時に善意で「日本国籍にすれば」と言われ、時に冷たく「文句があるなら国に帰れ」と言われる。

このままでいいのでしょうか。

国連加盟国192ヵ国中、なんらかの形で外国人の地方参政権を認めている国は、65ヵ国にのぼります。スウェーデンやデンマークでは3年以上の居住で地方参政権が、ニュージーランドでは1年以上居住している永住者には国政の参政権も認められています。

日本では、地方参政権の議論はすすんでいないものの、住民投票では200以上の自治体で永住外国人の投票権がみとめられてきました。各自治体が地域の在り方を考える住民投票を実施するにあたり、外国人住民の参加を認める条例を定めたのです。今回の住民投票は、国の法律で定められた住民投票という、議論のはざまで外国人住民が放置された、といえるのではないでしょうか。

大阪市の将来を決めるという重要な問題だからこそ、代議制の議会ではなく、直接市民の声をきく住民投票の実施が定められているのです。にもかかわらず、市民・住民であっても、外国籍であるために投票権が認められない。これが「究極の民主主義」でしょうか。

大阪市には2019年末現在で、143ヵ国145,857人もの外国人住民がくらしています。人口の5.3%にあたり、市民の20人に1人が外国人です。外国にルーツのある日本人住民を加えると、この割合はさらに高くなります。大阪市は国際色ゆたかな大都市なのです。この国際性を生かして、誰もが尊重され多様性をいかしたまちづくりを進めれば、大阪のまちはもっとゆたかで魅力的なまちになります。外国人市民もこのまちで生きるだいじな仲間です。そして、わたしたちは、すでにともに暮らしているのです。

大阪市の住民投票から見えてきたものは、大阪市だけの問題ではありません。

民主主義とは、市民が政治に参加し、社会を作り上げていく仕組みのことです。歴史をふりかえれば、投票の権利は財産で制限をされたり、性別で線引きをされていたりした時代もありました。今では、財産や性別にかかわらず投票できるのがあたりまえになっています。不当な制度だったものを、少しずつ平等なものに変えてきたのです。多様な文化がともに生きる、多文化共生のまちをめざすなら、外国人住民が投票の権利をもっているのがあたりまえの時代をめざすべきではないでしょうか。

マイノリティの直面する課題は、マジョリティが課題解決の当事者です。
みんなで一緒に社会を作りあげる「あたりまえの民主主義」を実現していきましょう。

2020年11月9日 みんなで住民投票!一同